豚インフルエンザ
メキシコで発生した豚インフルエンザの世界的大流行に対する警戒水準(フェーズ)が3から4になった、人間の往来を制限する様な声明は発せられては居ない。フェーズは1~6まであって世界的なパンデミックがあれば国境閉鎖などの強硬措置もあるのだろう、フェーズが3以下に下がって欲しいものである。
2003年のSARSが発生したときには、思わぬ所でとばっちりを受けた。各国のSARSの発生状況、患者などに対する対応が問題になった、つまり隠蔽する国があり疑心暗鬼になってきたのもその一因だったのだろう。
インドネシアのスマトラ島北部の基地から、LNG(液化天然ガス)を運搬している船のボイラの燃焼装置を修理することになった。
LNGなどの危険物を運搬している船の火気を使っての作業には、大変な制約があって岸壁に接岸して積み荷のガスを陸揚げしているときなどは作業は絶対に禁止されている。
日本での揚げ地である新潟を出港して積み地のスマトラに向かう航海中に施工する事になった。
2003年4月に作業員を連れて乗船した、出港翌日には通常の航海になったので作業を始め、翌日には作業が終了してしまった、早過ぎる。
4~5日で修理作業を終わって1週間後には着くであろうシンガポールで下船して空路帰国する予定だった、早く終わったからといって何の不都合もなく感謝されるだけなのだが。
シンガポールが近づいても船長から我々の下船の話が出てこない、しびれを切らして聞きに行ったら思いがけない言葉が返ってきた。
SARSが流行しているので、シンガポールでは現地との接触を避けるために食料を積み込まないことにした、従ってあなたたちの下船も中止にする、と言われた。
密閉されたような状態の船でSARS患者が出たら大変なことになる、我々の下船なんかは問題外なんだろう、シンガポールでの下船を余りにも簡単に却下されたのにはがっかりした。
スマトラでの下船しジャカルタから空路なんて言うのはゲリラ出没地帯だけに全く望みはなかった。
結局、2週間仕事もなく時間を持てあます日が続いた、シンガポールで下船予定だったので本も用意して無く毎日食って寝るだけの生活だった。
帰国して胃の調子が悪く病院に行ったがストレスのせいだろうだろうとの診断だったが、何もしないと云う事もストレスになるようだ。